2度目の転職で運よく上場企業に入社。それは私が優秀だったからではなくタイミングが良かっただけです。その証拠に業績不振に陥った途端、肩たたきに会いました。

転職

おはようございます、日々、派遣社員として消耗しているmakoです。

2回目の転職で入社した3社目の企業は2社目と同じ静岡県の会社でした。大企業でしたので全国に営業所がありましたが工場や研究部門は神奈川県や静岡県に集中していまして、私は静岡県にある研究書に配属されたんですね。

今まで勤めた企業と異なり誰でも名前を知っている上場企業です。最終面接で提示された年収も2社目を上回っていましたから断る理由なんてありませんでした。なんでそんな立派な企業に入社できたのかというと別に私が優秀だったわけでもなく単にタイミングが良かっただけです。

いろんな会社に応募して不合格になった企業もたくさんありましたが、とにかく諦めないで応募続けていたら内定をくれた企業に出会ったんですよ。精神論はあまり好きではありませんが、結果が出ないからといってすぐに諦めるのはやっぱり良くないですね。転職も数社落ちたからといって諦めずに粘り強くどこかに入社するまでは諦めないという姿勢は大事かと思います。



この時、この会社の業績が非常に良かったことと、景気も私が大学卒業した時よりはいくらか良くなっていたこと、私が30代前半で企業が一番欲しがる転職者の年齢層だったことが幸いしました。就職が成功するか否か一部の例外を除いて、全てはタイミングと思います。タイミングを誤まれば優秀な人でも満足いく就職活動はできません。一方、年齢が30代前半までならば能力は大したことなくても景気が良ければ一流企業に入社するのはそれほど難しくはありません。私がそれを証明しています。


会社の独身寮

独身寮は職場から車で15分くらいのところにありました。ちょっと困ったのは部屋がだいぶ狭くなったこと。2社目の時に会社が借り上げていた社宅は12畳のマンションでしたが3社目の会社の独身寮の部屋は6畳だったので一気に狭くなりました。ただ環境は良くなりました。周りに緑が多くて幹線道路からも離れているので通行音も聞こえず非常に静か。前のマンションは広くて綺麗でしたが、幹線道路の目の前でうるさかったんですよね。夜は思いの外、車の通行音が響いて不眠に悩まされました。



独身寮なのでトイレや風呂、洗濯機、洗面台は勿論共同です。こういうのが苦手な人もいると思いますが安い寮費を考えるとまあ我慢できました。嫌になったら賃貸に引っ越せばいいですしね。社員食堂もありましたけど安くて量が多いだけで全然おいしく無かったんてすよね。私もすぐに飽きて外食かコンビニ弁当、ホカホカ弁当で済ませるようになりました。小さな地方都市でしたが車を少し走らせれば外食チェーン店も多くて外食に困ることはありませんでした。

平和な入社一年目

会社での仕事は今までのキャリアとは少し異なるので仕事をゼロから覚える必要がありました。ただ大手企業だったので教育制度は整っていたしやる気があればいくらでも知識を吸収できる環境でした。これは中小の製造業にはない魅力ですね。最初の1年間は上司や同僚にも恵まれて得に不満はありませんでした。仕事も前職までと異なりかなり専門性が高い仕事を与えられていたので技術者として成長する場として申し分ないものでした。

有名企業ですから周りは一流大学卒の秀才ばかりで話についていくのが大変でしたがそれも良い勉強になりました。

GeekOut(ギークアウト)

2年目からは職場の組織が大きく代わり、上司も代わり私の立場も微妙になっていきました。

クソ上司のもとで耐え忍ぶ入社2年目〜4年目

組織変更の後、上司が代わりこの上司がホントのパワハラばかりするクソ上司だったんですよ。前の上司はよかったんてすけどね。サラリーマンの最大のリスクはクソ上司に当たることです。短期間ならまだしも、長期間だったら精神病むし仕事の成果も出ないので本当に転職を考えた方がいいです。というか絶対退職したほうがいいですね。

適性検査LP

サラリーマン最高などと呑気なことを言っている人はたまたまクソ上司に当たらなかった運のいい人です。もしくは非常に優秀でクソ上司に隙を見せず何も言わせない人ですね。

そのクソ上司との付き合いは3年間続きました。短納期の業務も沢山振ってくるし、ミスしたら辺り構わず怒鳴りつけてくるしホントに大変でしたね。辞めること考えたのも1回、2回ではありません。色々転職先を探したのですが、勤務地とか待遇を考慮するとなかなか転職したくなる企業を見つけることは出来ませんでした。

比較的上司に恵まれた入社5年目〜9年目

このクソ上司の下で3年間働いた後、また組織再編があり、私は別のチームに異動になりました。そのチームでは5年間働くことになるのですが、そこでの上司には運よく恵まれたと思います。上司の人事異動で3回上司が変わりましたが変な上司は一人もいませんでした。厳しい上司でしたが部下の指導力もありましたし、研究開発に関する色々な業務(素材配合、スケールアップ検討、特許業務など)を経験する事で成長する事ができました。この5年間は今から振り返っても化学エンジニアとして一番成長できた期間だったと思います。

ただ、上司には恵まれましたが、同僚には余り恵まれませんでしたね。それほど仕事ができる方ではなかったので、能力のある同僚からはことあるごとに軽く見られ馬鹿にされることが多かったです。今思うとこの頃にサラリーマンを辞めておけば良かったなと思います。サラリーマン以外の別の道をとことん探せば良かったなと感じています。

マイナビAGENT×IT

サラリーマンである程度頭角を表し成功するには、人付き合いが苦にならないとか、頭の回転が早くコミュニケーション能力が高い等の能力がないと無理です。人付き合いが苦手で頭の回転が悪くて飲み込みの悪い私のような人はサラリーマンとしては早晩行き詰まるでしょうから出来るだけ若いうちに自分向いている職種を真剣に検討した方がいいと思うのです。

そういう人は年功序列の組織ならともかく、成果主義の組織で昇進するのはまず無理です。年取ってから他の道を探すのが無理とは云いませんが新しい事を覚える能力も落ちてくるのであまりオススメはできません。今からはいい時代でブログとでアフィリエイトで小銭稼ぐとかプログラマーとかウェブデザイナーとかコミュニケーション能力が不足していてもやっていける職業がありますからね。向いていないサラリーマンをダラダラ続けるのは相当なリスクです。そういう人は会社の業績が悪くなれば間違いなくリストラのターゲットになります。

入社九年目にリーマンショックが訪れ、この会社も大幅に業績を落として希望退職者を募集し始めました。私は管理職との面談で退職を勧められました。ただ、この時は住宅ローンが残っていたし年齢も40歳になっていたし転職が難しいと感じたので退職勧奨を固辞しました。

その報復人事を受けて私は全く畑違いの事業部の営業所へ飛ばされました。


パーソルテクノロジースタッフ(旧 インテリジェンスの派遣)