退職勧奨されたら素直に応じる方が無難。固辞すると絶対報復人事が待っています。退職勧奨を甘く見るととんでもない目に会いますよ。

転職

こんばんわ。今回は3社目の企業(誰でも知っている上場企業です)で退職勧奨を受けた時の話を書きたいと思います。

希望退職制度説明会後、退職勧奨される

入社して9年ほどして会社が大きく業績を落としました。理由はリーマンショックです。色々な事業に手を出していた企業ですが、全て景気の影響をもろに受ける事業だったので業績が急降下したのは当たり前ですね。

GeekOut(ギークアウト)

暫くして全社的な事業再構築説明会がありました。要するに希望退職社員を募る人員削減計画です。希望退職に応じてくれた人には退職金の上乗せ民間の再就職支援があることなどの説明がありました。対象者は年齢にかかわらず全従業員対象です。説明会が終わってから数日後には全従業員と管理職との面談が始まりました。予想通り私は退職を促されました。人事考課は低かったし9年間も在籍しながら一度も昇進していないのだから当然といえば当然です。

退職勧奨に応じた方が良い理由

会社に残っても君に与える仕事は無いと言われたのでプロ野球でいう戦力外通告ですね。同僚や後輩と比べても仕事ができる方ではなかったので退職を促されることは予想していました。が、やっぱり面と向かって君は職場には不要だと指摘されるのはショックでしたね。微力ですがある程度は貢献できたこともあるはず。9年間くらい在席していたのですから。

適性検査LP

この時はリーマンショックで日本の製造業はどこも業績が悪く中年の転職者を受け入れる余裕はないだろうと転職エージェントにも指摘されていたし、また、マンションを購入して住宅ローンをかかえていた身です。悩みましたが退職応じるわけにいかないと思いました。本当は後から考えると退職に応じたほうがよかったと分かるんですけどね。この時、私は世間知らずで退職勧奨を甘く考えていたことは否めません。会社にしがみついていればなんとかなるというような甘い幻想に取りつかれていたんですね。この時はどの業界でも退職勧奨を行っている企業が多かったので、マスコミも絶対に退職勧奨には応じないほうが良いという論調が多かったように思います。

もし、今、このブログを読んでいて退職勧奨されているサラリーマンがいたら声を大にして言いたいです。絶対に退職に応じたほうがいいです。私のように甘く考えていると後から思い切り後悔することになります。会社はあなたに戦力外通告をしているわけですから。退職をしなければどんな扱いになるか想像するべき。貴方に合った職場を用意してくれるんじゃないかなんて甘い考えを持っていないでしょうね。若しくは、根拠のない楽観論に浸りなんとかなるとか考えていませんか。会社内にあなたのキャリアが生きる場所は絶対に用意されませんよ。甘い考えでいるととんでもないことになります。

退職勧奨固辞した後の報復人事

私は悩んだ末、会社に残ることを決断しました。今考えてもこの決断は大失敗だったと断言できます。退職を断った後は半年くらいは何事もなかったかのように日々が過ぎていきました。そして年が開けて2月の終わりに突然上司から面談に呼び出されて異動通知を差し出されました。なんと東京本社で営業部門て営業職に配属になる話。まさに寝耳に水です。大卒以来、技術者としての経験しかないのですから営業なんて勤まるわけが無いです。それも全く経験したことのない医薬品業界での営業です。この時に私ははじめて悟りました。これが会社の退職勧奨に応じなかった人間に対する懲罰人事なのだと。この時は勿論会社員の人事を恨みましたが、今思うと当たり前と思います。退職勧奨に涙を飲んで素直に応じた社員も沢山いるわけですから、彼らの手前、会社とゴネて退職に応じない私のような社員を厚遇するわけがないのです。いま、会社から退職勧奨されている人は、仮に退職に応じなかった場合は、必ず懲罰人事があると思った方がいいです。あなたの経験が全く役にたたない部署に異動になるのは間違いありません。退職勧奨を断るのは自由ですがどんな扱いをされても辞めない覚悟が必要です。その覚悟がないなら、迷わず退職することを勧めます。

技術畑一筋の私が報復人事で営業職へ・・・

私は異動通知を受けた後、2週間後には東京の会社の独身寮に引っ越しました。東京で6カ月間の資格試験の勉強と研修を受けることになりました。医薬品業界では営業活動するための国家資格が必要性なので資格試験の勉強をしなければならなくなりました。都内の某所で一日中、授業を受ける日々が始まりました。

都内某所に集められたメンバーは皆、退職勧奨を固辞して飛ばされてきた人ばかりです。私のように技術系社員だった人が多く、一部営業系の社員もいましたが、これからは別業界の医薬品営業になるので不安そうにしていました。言い方は悪いですが、研修場所の東京某所は戦力外通告を受けたのに辞めなかった人間の乳母捨て山みたいなものでした。

研修場所に毎日、都内の独身寮から通い講義を受けて朝から夕方まで勉強。大学卒業してから15年間、地方勤務の車通勤の経験しかないので東京の満員電車での通勤はかなり堪えましたね。だんだん慣れていきましたが、地方で車通勤しかしたことない人は東京の満員電車は結構堪えると思いますよ。

講義は医薬品営業についての法規や専門知識についての勉強が中心でした。ただ技術系社員の経験しかない人が多かったので営業職の心得や技術畑から営業畑へのキャリアチェンジの心得のようなメンタル的な講義や集団での実習もありました。

半年の講義の後は、各人が全国の営業エリアに配属になり、先輩社員に動向しながら顧客訪問を行いました。所謂、本当の営業活動ですね。私も最初は非常に緊張しました。お客様に頭下げての営業活動なんて初めての経験ですからね。私は東北地方に配属になり、与えられた営業車で仙台市を中心にお客様周りをして自社製品を紹介する営業活動を先輩社員と同行してこなしました。慣れてくると一人で行うようになりました。

先輩社員には悪い意味で癖のある人が多く、種々と対応が大変でした。それでも彼らから教わることは沢山あるのでとにかく必死でしたね。半年間はあくまで営業研修なので仙台市のホテルに宿泊しながらの営業活動。週末は東京の独身寮に帰宅して日曜日の夜に仙台市に移動することを半年間こなしました。国家資格のテストの勉強もしなけらばならないので毎日の営業が終わったらテキスト開いて試験勉強していました。そのかいあって国家試験を無事にパスして正式に東北の営業部員として登録されました。

しかし、その直後に東日本大震災が発生。この震災は私の職業人生に悪い意味で影を落としました。その辺りの顛末はまた次回のブログで書きたいと思います。













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