【私のダメ社員人生の振り返り】会社員としてキャリアを築くには専門知識や経験よりも地頭の良さや運が重要

仕事

会社員でうまくやキャリアを築くには人間としての総合力や運が非常に重要だ

何故なら、会社というのは様々な人と力を合わせて業務を遂行して成果を出していく組織だから

私は専門知識や経験は人並みに有ると思っているが、コミュニケーション能力や人付き合いや頭の回転の良さなどが水準より大きく劣るので会社員としては完全にダメ人間だった

また、大学卒業時にバブル崩壊の就職氷河期にぶち当たったので運にも見放された

コロナ禍で就職氷河期にぶち当たった学生は自分の運のなさを呪ったに違いない

勿論、有能な学生は就職氷河期でも一流企業から内定を取ることはできるがそんな学生はごく一握りだ

普通の学生がまともな就活をするには卒業時期の景気が良い事が非常に重要だ

景気が悪ければ企業は大幅に採用を絞るので究極のイス取り合戦になるのだ

前置きはこれくらいにして私の27年間のダメ会社員人生を振り返ってみたい

1社目:大学卒業後は熊本県の中小企業へ

東京の中堅私大理学部の大学院修士課程を卒業した私は熊本県の中小企業に就職した

早慶上智や旧帝国大学などの有名大学を卒業していない頭の回転の悪い私はとても希望する大企業などに就職できなかったのだ

ただ、入社から3年間は結構楽しい会社員生活だった

研究開発職として入社したが、新卒から3年くらいまでは主に単純作業を任せて仕事に慣れさせる社風だったのだ

仕事は単純作業ばかりで正直面白くは無かったが運よく人間関係に恵まれて会社に行くのは楽しかった

楽しい会社員生活も4年目からは一変する

感情の起伏が激しくパワハラ的な管理職が居るチームに異動になったのだ

4年目になったので今までの単純労働は終わり、研究テーマを与えられたのだが仕事が全く出来ない私はテーマをうまく進捗させることができなかった

案の定、全く成果を出せない私は格好のパワハラのターゲットになった

事あるごとに厳しく上司から叱責されるようになった

こういうことが日常になると同僚や後輩も私のことを軽く見て馬鹿にするようになったのだ

仲の良かった先輩たちの多くが退職したのも痛かった

人並みの成果を出せないので上司からは厳しく叱られ、同僚や後輩には馬鹿にされ、仲の良い先輩も誰もいなくなり、私には会社内に居場所が無くなってしまった

今思えば、私にコミュニケーション能力があって、頭の回転の速さが備わっていたらこの会社でやっていくことはできたと思うが、無能な私にはそれは無理な相談だった

もう会社を辞めるしか選択肢はないなと感じ始めていた

転職活動を始めると比較的あっさりと転職先が見つかった

この時の私は30歳と若く、5年間のキャリアがあったから転職を決めることが出来たんだろう

2社目:静岡県の中小企業へ転職

転職先は静岡県の中堅企業の開発職だった

この会社は結局一年半で辞めてしまった

理由は仕事が合わない(つまらない)と感じたから

待遇は決して悪く無かったから今思うと勿体無いことをしたと思う

今思えば、この会社でキャリアを積むことが一番だったような気がするが後の祭りだ

当時の私は私の専門の化学のキャリアを磨く事に拘っていて、この会社では化学の専門性を磨けないと感じていた

この会社では社員に化学の専門性はあまり求めず、代わりにゼネラリストタイプを求めていたのだ

材料研究だけでなく、生産技術的な仕事も担当しなければならなかったのだ

当時の私は生産技術的な仕事には全く魅力を感じなかったので辞めるしか無かったのだ

化学の専門性を磨ける環境では無かったけど、人間関係は決して悪くは無かったし会社の業績もそれなりに好調だった

何故辞めたか?

気の合わない同僚は何人かいたけどこれば何処の会社に行っても同じことだ

上司はパワハラ的な人は殆ど居なかったし仲の良い先輩社員も数名いた

直属の上司には運よく気に入られたようで結構可愛がってくれた

今思うと私の実力的にはこの会社が合っていたと思う

当時の私は自分の実力を過信していたことが今になるとよく分かる

化学の専門性を高める仕事に拘っていたけどその実力が伴っていなかったのだ

そういう自分の実力のなさを棚に上げて、転職先が決まった時点で退職する事を決断した

上司は私の退職を惜しんでいるようだったが無理に引き止めることはしなかった

この決断が今後の私のキャリアを大きく狂わせる事になるのがこの時の私は全く分かっていなかったのだ

3社目:上場企業への転職

最初の一年は天国

この上場企業での勤め先は前職と同じ静岡県だった

静岡県に拠点を置く材料関係の研究所に配属された

当時の私(32歳)は大企業での研究所に入社出来たことですっかり舞い上がっていた

やっと化学の専門のキャリアをスタート出来ると喜んでいた

肝心の給与は前職と殆ど変わらなかったもののそんなことは全く気にならなかった

配属先の先輩社員は皆、旧帝国大学の大学院卒の秀才ばかりだった

私のように中堅私大出身の人は非常に少なかったのだ

それでも肩身の狭さは全く感じなかったですね

ここで頑張って自分のキャリアを作っていくんだ!という希望に燃えていた

最初の1年間は非常に居心地が良かった

先輩社員は皆親切に仕事を教えてくれたし、直属の上司も非常に面倒見が良かった

大した能力のない私にいろんな仕事を任せてくれて良い経験をさせてもらったと思う

2年目から5年目までは地獄の日々

ただ良いことばかりは続かなかった

2年目からは職場の組織体制が大幅に変わり、私は某商品開発チームに配属になった

このチームの上司が非常に短気で厳しい人だった

ミスをしたり、わかりにくい報告をすると直ぐに罵声が飛んできた

数時間にわたる説教も何度もされたし、人前で辞めちまえ!と言われたこともあった

この上司は数ヶ月で私の無能ぶりを見抜いたようで重要な仕事は一切任せなくなった

簡単な単純作業の仕事ばかりが私のところに回ってくるようになった

単純作業とはいえ、商品化のスケジュールは決定していたので短期の納期の仕事が多く大変だった

残業や休日出勤など当たり前だった

正直、この上司が大嫌いだったが今にして思えば、この上司の私の使い方は正しかったと思う

私のコミュニケーション能力の無さや頭の回転の悪さをこの上司は見抜いていて、創造的な仕事や企画的な仕事はとても任せられないと感じたのだろう

この上司としては私に退職して欲しかっただろうが、この時の私は正社員だったから簡単にクビには出来ない

誰でもできる単純作業しか私には任せることができないと判断したんだと思う

その上司の決断は正しかったと今では思う

結局、この上司の元では商品化が終了するまで3年間働いた

単純作業ばかりで当初の目的であった化学の専門性も高めることもできず、しょっちゅう怒鳴れてばかりだったので正直しんどかった

辞めることも何度も考えたがその度に踏みとどまった

まあ、世間的には人並み以上の給料を貰えていたから我慢もできたんだろうと思う

人並み以下の安月給だったらとっくに辞めていただろう

5年目から9年目は運よく上司に恵まれた

商品化が完了して別の商品開発チームに移動になった

この新しいチームでは幸い上司や同僚に恵まれた

時には厳しく上司から叱責されたこともあったけど、全上司のように人間性を否定されることはなかったのでそれほど辛くはなかった

このチームには結局5年間在籍して3名の上司のもとで勤務した

どの上司も無能な私に面白い仕事を任せてくれた。当初のこの会社に入社した目的であった化学の専門性を大いに磨かせてもらったのは感謝している。

ただ、仕事は面白くはあったけど決して重要な仕事は任されなかった。

上司の目は決して節穴ではなかった

私のコミュニケーション能力不足や頭の回転の悪さ、仕事の飲み込みの遅さなどに3人の上司とも気がついていたはずだ

ただ、どの上司も優しかったので厳しく指摘しなかっただけのことなのだ

その証拠にこの静岡県の研究所には9年間在籍したが、私は全く昇進できなかった

上司達は優しかったが私の能力のなさを見抜いていたので彼らが私に与えた人事評価は非常に低かった

まあ、それも仕方ない

私の頭脳では周りの旧帝国大学卒の秀才達とは初めから勝負にならなかったのだ

全く昇進できずリストラのターゲットになる

入社して8年目に会社が業績不振に陥って全社員を対象に希望退職者を募り始めた。私も既に40歳になっていた。

希望退職説明会を聞いて私は絶対にリストラのターゲットになると確信した。

当時のこの会社はリーマンショックで業績を大幅に落としていたのだ。

人事部が能力の低い社員を削減したがっているのは説明会を聞いてすぐに分かった。

後日、社員全員を対象にした管理職との面談が始まり、私は案の定、君にはこの会社に居場所はないとハッキリ言われた

間接的に退職を促された形だ

40歳にもなって管理職にも管理職代理にも昇進できなかったのだから退職を促されて当たり前だったのかも知れない

ただ、当時の私は愚かにも退職を固辞した

リーマンショックの最中、40歳でまともな転職などできるはずはないと感じていたからだ

愚かにも、何がなんでも会社にしがみついてやると当時の私は本気で思っていたのだ

その後、何度も面談に呼び出されて希望退職に応募するように迫られたが全て断った

リストラターゲットにされた人間がそのまま職場に居座ることが出来るほど会社の人事部は甘くはなかった

半年後に上司に呼び出され、子会社出向を宣告された

これが希望退職を断った人に対する会社の洗礼なんだなと、馬鹿な私はこの時に初めて気が付いた

入社して8年経っても全く昇進出来なかったのだから、そもそも私はこの会社に入社出来るような人材ではなかったのだ。今思うと入社すべきではなかったと思う。

入社当時、たまたまこの会社の業績が絶好調だったから、転職者へのハードルが下がって入社が楽だっただけのことだ

私はギリギリのところで採用されただけなんだろうと思う

4社目:希望退職を固辞したら子会社に出向

希望退職を固辞した私に待っていたのは業績の悪い子会社での営業職だった

完全な報復人事だ

当時の私は会社を恨んだけど今思うと筋違いかなとも思う

涙を飲んで希望退職に応じた人達も沢山いただろうし、彼らの手前、希望退職に応じなかった社員を厚遇するわけにはいかなかっただろう。

この子会社に出向したのは私だけではなく、私のように希望退職を断った中高年の社員が20名くらいいた

殆どは50歳前後の人達ばかりで当時40歳だった私は一番若い部類だった

半年弱の営業研修を終えて私は東北エリアの営業を担当する事になった

約1年間先輩に色々と教えてもらいながら営業活動をしたが全くのダメ営業マンだった

商品売り上げには全く貢献出来なかったので目をつけられたようで東京本社で営業企画の部署に転勤になった

この営業企画の部署には2年弱在籍して3名の上司のもとで働いたが、どの上司も厳しく大変だった

ミスをしたり納期に遅れたりして怒鳴りつけられるのは日常茶飯事だった

ただ、営業企画の経験などない私には当然、企画的な仕事は回ってこない

営業データの整理や販売促進グッズを各営業所に送る手配など単純作業ばかりだ

それでも仕事量が多いので毎日のように夜遅くまで残業していましたね

まあ、私が無能で効率的に仕事をこなせなかったことも大きな要因なのですが

再度の肩たたき

また、3年ぶりに会社が希望退職を募り始めた

親会社の業績は芳しくなかったし、この出向先の子会社は大赤字を毎年計上していた

管理職との面談で、君はこの会社で全く貢献出来ていないので君は別の職場を探したほうが良い、とハッキリと言われた

3年前と違い、私は快く希望退職に応募することを管理職に伝えた

希望退職を固辞してもこの会社に居場所があるとは思えなかったからだ

晴れて私は無職の身になった

9ヶ月の無職時代

会社が希望退職者には再就職支援制度を用意していたので私はパソナキャリアの再就職支援を活用した

自宅の近くのパソナキャリアの事務所で毎日のようにパソコン画面で就職先を探す日々が始まった

当たり前だけど、40歳の管理職経験のない無職の人間を相手にする会社は全くなかった

手当たり次第に半年間、100社以上は応募したように思う

殆どは書類選考で落とされて面接にも進めなかった

面接に進んだ会社も一次面接で終わった会社が殆どだった

7ヶ月目くらいから少しづつ面接にすすめる会社が増えていき、2社から内定を獲得した

ただ、どちらの会社も悩みに悩んだ末に内定を辞退した

どちらも自分が本当に就きたい仕事ではなかったからだ

結局、その後の就職活動で内定した中小企業の契約社員の仕事に就く事になった

この決断を後で嫌というほど後悔することも知らずに・・・

5社目:契約社員として中小企業へ

この会社は半年で辞めることになる羽目になった

私の配属された職場の上司はマネジメントを全く行わず、私に全く仕事を与えようとしなかったからだ

この上司はほとんど仕事と称して出張ばかりしていてオフィスには全然来ていなかった

私は毎日のようにオフィスでネットサーフィンをして遊んで過ごす事になった

時々、他部署や他の事業所からの雑用の応援がある時が仕事らしい仕事だったかな

入社3ヶ月でもう辞める決断をしていたのだが、上司が出張ばかりで全く顔を合わせる機会がなかったので退職を告げるタイミングを掴めなかったのだ

この時は本当に、2社の正社員内定を辞退したことを本気で後悔した

この会社には面接の時に怪しい雰囲気を既に感じていた

入社後にどのような仕事を任せるのか全く具体的に言及しなかったのだ

怪しい雰囲気を感じながらも入社したのは無職期間が長くなっていて転職活動にいい加減うんざりしていたからだ

2社の正社員内定を辞退したことは本当に馬鹿な行為だったと思う

自分にとって100%都合の良い仕事や職場がこの世に存在するわけがないのだ

勇気を出して2社のどちらかの会社に入社すべきだったとつくづく思う

6社目:初めての派遣社員(1社目) 半年でクビ

前職の契約社員を辞めてから約1ヶ月後に大阪の某大企業の研究所に派遣社員として入社した

簡単な実験作業とデータ整理だけだったが時給は結構良かったし、さすが大企業、研究所も非常に衛生的だった

社員食堂も格安(250円)で毎日美味しい食事を提供してくれて派遣社員も自由に利用できた

配属された職場の上司も先輩社員も皆良い人ばかりでクセのある変な人がいなかったのは非常に助かった

先輩社員も上司も非常に丁寧に仕事を教えてくれた

私はこの職場を結構気に入っていたのだが、残念ながら半年で契約終了(実質のクビ)になってしまった

派遣会社に聞いてみたら、この会社の上司は私に単純作業以外の企画的な仕事もさせたかったようだが私には能力的に無理と判断したようだ

この上司の判断は正しかった

時々、この上司は研究テーマの目的や進捗状況を説明してくれたが頭の悪い私には殆ど理解できなかったのだ

私に企画的な仕事を任せられないと判断したのも無理はない

2度目の無職時代:派遣先が全然見つからない

大阪の大企業の派遣社員をクビになってからは3ヶ月間、全く仕事が見つからなかった

派遣を主に探していたが一応駄目元で正社員の仕事も探した

この時の私はすでに44歳だったから仕事が見つからないのも無理はなかった

多くの派遣先は中高年の派遣社員を非常に嫌がるのだ

指揮命令者は30代が多いからどうしても年上の中高年の派遣社員を部下として使うことに躊躇するようだ

3ヶ月後にようやく決まった派遣先は某大学工学部の研究室だった

なぜ、私が採用されたのかといえば、職場見学の時の面談で研究室の教授に気に入られたからのようだ

7社目:派遣社員(2社目) 9ヶ月で契約終了

この大学工学部の研究室の指揮命令社は私と同世代の非正規研究員だった

大学の研究員というと世間知らずの変わり者というイメージを持っていたのだが、この研究員は常識的な人で全く問題なかった

仕事の教え方も丁寧で悪くなかった

ただ、大学の研究室なので主役は学部生や大学院生だ

彼らの多くは20代前半だし、私は40代の中高年ということで、私の存在は完全に浮いていた

互いに話すことなど何もありはしない

私以外にも数名の派遣社員がいたが殆どは20代後半から30代前半の若い女性だった

私のような中高年のおっさんが彼女らの輪に加わることはできるはずがない

経験したイジメ

一人の30代の女性派遣社員が露骨に私に嫌がらせをしてきた

研究室で誰も仲間もいなくて浮いていた私は格好の”イジメ”のターゲットだったのだろう

挨拶しても無視されたし、研究室内での仕事でもよく邪魔をされた

私も完全に彼女を無視するようになった

今思うと、この女性派遣社員は中高年の派遣社員である私を馬鹿にしていたんだろう

仕事が出来ない派遣社員はどこでもイジメ、嫌がらせのターゲットになるので覚悟しておくことですね

幸い、上司の研究員や私に色々教えてくれた博士課程の学生はまともな人だったので救われたかな

この上司の研究員は私のことを結構評価していると派遣会社から聞かされた

9ヶ月で契約終了になったのは当初の予定通りなのでクビになったわけではないのです

8社目:派遣社員(3社目) 半年でクビ

大学の工学部の研究室を契約終了になって1ヶ月後に某大企業の製造部技術課の派遣スタッフ(実験要員)として採用が決まった

職場見学時の話では職場の採用担当者は私に数年いて欲しいと言ってくれた

時給も決して悪くはなかったので長く勤められれば良いなと思っていた

その期待は入社後に見事に打ち砕かれた

この職場での仕事(実験)は非常にハードだった

半日間クリーンルームでサンプル作成実験を行いその後は実験室に移動して作成サンプルの様々な分析や測定業務を行なった

サンプルの数や測定業務の量が毎日多かったのでとにかくスピーディに仕事をこなさなければならない

ここでもイジメのターゲットに

仕事を覚えるのが遅くて実験作業も遅い私は実験室を仕切っている中高年のお局様社員に徹底的にイジメられた

要は出来ない中高年派遣社員として実験室のボス(お局様)にマークされてしまったのだ

挨拶しても無視されるのはマシな方で、実験機器をなかなか使わしてくれなかったり様々な嫌がらせをされたのだ

そういうこともあって指揮命令者は私の実験量(アウトプット)が少ないことに不満を持っていたようだ

また、実験室のお局様達とうまく人間関係を構築できていないこともおそらく知っていただろう

指揮命令者の期待に応えることができずに半年で契約終了(クビ)になってしまった

まあ、そのまま契約が継続したとしても実験室のお局様にはイジメられ続けただろうから私の方からいずれは辞めていたと思う

まあ、この職場とは縁がなかったのだ

9社目:派遣社員(4社目) 5年以上就業中

この会社は前職の就業期間中に職場見学を行い採用が決まったので運が良かった

仕事は大企業の研究所で科学文献、特許を読み込んだり、調査する業務だ

入社当初、仕事を教えてもらった年配の派遣社員(70代)は少しクセのある人で当初は少し苦労したが私が1ヶ月ほどで私が仕事を覚えられたので、その後は一人で文献調査業務を行なっている

上司は特に問題のない人で私のことを単純作業要因としてそこそこ評価してもらっているようだ

評価してもらっているといっても、文献調査はルーチンワークなので一度仕事を覚えてしまえば難しいことは何もない

化学の専門知識があれば誰にでもできる仕事だと言える

社員とのコミュニケーション能力を要求されることは殆どない

そういう複雑な仕事は社員が全て行う

強いていえば文献を読む力が要求されるので最低限の専門知識(化学関係)は必要だが私は化学専攻なので全く問題ない

仕事で接する人たちは幸い変な人はいないので大きなストレスなくもう5年以上ここで派遣社員をやっている

とはいえ派遣なので会社の都合で切られる時は必ずやってくるだろう

この職場で化学文献調査業務をして分かったが、私には実験作業スタッフとしての適性は全くないようだ

実験作業スタッフは様々な機器の使い方を短期間で覚えないといけないし仕事のスピードもかなり要求される大変な仕事だ。無能な私には務まらないのだ。

まとめ

大学卒業以来、正社員、契約社員、派遣社員を合計9社での経験を簡単にまとめてみた

改めて振り返ってみると我ながら一貫性のないチグハグな仕事人生を歩んできたなぁと思う

こんなキャリアではまともな転職ができないのは当たり前だ

転職市場ではキャリアの継続性、一貫性が厳しく要求される

転職回数が多ければ大きく不利になるし、その転職も私のように分野が異なる仕事を繰り返すだけでは自分の履歴書を汚すことになるだけだ

私がこの8年間、派遣社員にしかなれなかったのも必然とも言える

製造業エンジニアにとって転職は決して悪いことではありませんが、転職する際は原則、同じ仕事を継続することです

キャリアチェンジというのは言葉はかっこいいですが製造業のエンジニア転職市場では殆ど価値はありません

 

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仕事のキャリアは継続させるのが無難。一度キャリアのレールから外れるとほぼ再起不能と思った方がいい。

退職勧奨されたら素直に応じる方が無難。固辞すると報復人事が待っています。退職勧奨を甘く見ない方がいいです。

中途採用で入社後に仕事が与えられるのは30代まで。40代以降は仕事を創出することが求められることを覚悟すること。